『図書館の大魔術師』考察ブログ

~しがないつぶやき【Z:sub】~

【感想】『図書館の大魔術師』第42話「本気を離さないで」

この記事は作品の重大なネタバレを含みます。お読みになるかたはその点を充分ご承知おきください。

※本文内では、作中の用語を遠慮なく多用しています。

前回の更新から、気がつけば約4か月も経ってしまいました。頻繁に記事を上げていないにも関わらず、やはりそれなりに人気の作品についての感想や考察を書いていると、読者はついてきてくれるものです。読みに来てくれるのはありがたいし、大変光栄なのですが、最新話について述べているわけでもないものだから、なんだか申し訳ない気持ちになります。

とくに今月は、コミックスの最新7巻が発売されたこともあってか、ここ数日というもの、このブログ史上、類を見ないほどのPV数が続いていて、独りでおののいているところでございます。せっかく見に来てくれた人に損をさせた気にさせないためにも、書きためていた記事を公開していこうと思います。

さて、言い訳はこのあたりにしておいて、記事本編へ参りましょう。

 

■ 感想:第42話「本気を離さないで」

第41話から引き続き、第86期の見習いたちは福書典祭に向けて準備をしている。シオは、ナチカが「念のため」1週間後に設定していた企画会議に向けて、自身の企画の実現可能性を高めるために、何人かの同期に協力を求める。

今話の特徴として、その過程において今まであまりシオと接点のなかった見習いたちにもスポットライトが当てられ、キャラクターの深掘りがなされた。

以下、ストーリーの要点を挙げていこう。

 

□ キャラ掘り下げ その①シトラ=クエフ

前話の流れから、てっきりツィツィ=ミメイの話かと思ったら、深掘りされたのはシトラのほうだった。まァ、ツィツィも今までで一番セリフの量はあったけれども。

シトラは幼い頃から製本工房に出入りしていた。そこの職人たちの影響を受けてか、神経質で、世の中の諸々に対して不満を抱いているが、周囲から煙たがられた経験から、内心で思っていても口に出すことはなかった。福書典祭の企画でシオから製本の協力を求められた際も、自身の細かすぎる性格を同期たちに嫌われるのを厭って、あえて積極的に参画しようとはしなかった。

しかし、自身の志望する修復室の先輩ナナコの指摘を受けてからは、本気を出すことを恐れずに行事に積極参加することにした。今まで世間とのズレから抑えていた自己を、ようやく解放できたようである。

 

この描写から、福書典祭の課題が持つ意味が想像できる。

現実世界における学校の文化祭のように、各々に役割が与えられ、協同で1つの作品を作り上げるわけだが、この課題、成績に一切反映されないと言いながら、先輩司書たちは口を揃えて「福書典祭の準備は進んでいるか」と聞いてくる。劇中では、シオの企画が採用された場合の各人の役割分担について、シオ自身が思いもしないところで進んでいく様子が描写されている。この課題が点数化されないのは、序列を決めるためではなく、集団における自分の役割・得意分野を自覚するためのものだからではないだろうか。

 

□ ずいぶん丸くなったメディナ

積極的に動き出したシトラが最初に声をかけたのは、メディナ=ハハルクだった。

入寮当初は「協同」や「協調」から程遠かった彼女だが、第26話「けりたい顔面」から27話「それでも夜は明ける」の1件以来、すいぶんと丸くなった。

シトラが声をかけたときはペットの鷹と戯れているし、誰よりもシオを毛嫌いしていたはずなのに、シオのことを「フミス」ではなくファーストネームで呼ぶようになっている。今話ではメディナの笑顔がよく見れるので、読者の親心としてとても安心する。

なおかつ、4巻の幕間における見習いのキャラクター紹介で、メディナの趣味が「美術鑑賞」となっていたのが、今回の話で伊達ではなかったということが明らかにされた。それどころか、かなり正確な審美眼の持ち主である。

 

□ キャラ掘り下げ その②カウィチ=ホサネク

財閥の娘で、効率や生産性を至上としているために、その発言には歯に衣着せぬカウィチ。

シオは自分の企画における課題点、作品制作における金銭的負担の解決策として、個人的な資産を持つカウィチに協力を、いや「投資」をもちかける。ただ作品を作って展示するだけの企画では、やはり裕福な者がより多く出すことになってしまい、そんな非生産的な事柄にカウィチが個人の資産を割いてくれるとは思えない。

そこで、シオはソフィの提案どおり展示用と配布用の2種類を作り、配布用を販売することで自分たちへ利益が還元される形をとった。はじめ、この行事そのものに否定的だったカウィチだが、商人でもある故郷の村の図書館長から仕込まれたシオの心意気に対して投資することにした。カウィチの協力が得られたことで、シオの知らないところで協力者はさらに増えていくこととなり、結果として、話し合いを始める前にクラスの過半数が賛同している状態となったため、シオの企画は当人の想像以上に簡単に採用された。

 

□ 過去話からのオマージュ

今話では、過去のストーリーからのオマージュとも取れる描写が何箇所かある。

まずはシオがカウィチに商談をもちかけるシーン。

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シオがガナン石工業で働き始めるときの、ダム=ヤッパンに対する仕草と同じである。

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(第2巻、p.176)

もうひとつはナチカとのやり取り。

司書試験のとき、シオはただただ素直に動き、ナチカは「常識」からそれを否定する。

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(第3巻、p.114)

今話でのシオはどこかいたずらっぽく小ずるい表情で、ナチカのほうは、戦略・計略としてそれもアリ、という表情をしている。両者の成長がうかがえるシーンである。

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さて、シオがモノローグで語っているように、自身の将来が見えてくる予感から、どうやら第2部のクライマックスが近づいてきているようである。本当は今話で新たに明らかになった事実関係や、ちょっとした考察も入れようと思っていたのだが、やはり前・中・後編を一度に記事にするととても長くなるので、別記事で改めて取り上げよう。今回はこの辺で。

 

 

【感想 / 考察】『図書館の大魔術師』第41話「存在の耐えられない軽さ(後編①②)」

この記事は作品の重大なネタバレを含みます。お読みになるかたはその点を充分ご承知おきください。

※本文内では、作中の用語を遠慮なく多用しています。

 

■ 感想:第41話「存在の耐えられない軽さ」

第41話の後編が2/7(火)に更新された。

今話は全体的に、福書典祭に向けてシオが自分の企画を練るという流れである。ストーリーの要点は以下のとおり。

  • 案内室実技。大衆小説の案内はシオの得意分野と言えそう。
  • シオの企画は、大衆小説をより楽しむための解説副読本。
  • 歴代の見習い作品を見学、そのあまりのクオリティーに、シオは自分の企画を練り直すことに。
  • 進行管理のナチカが設定した企画提出の締切は、本来より1週間早かった。念のため。
  • シオは大衆文学の会の面々に、自分の企画について相談。豪華な装幀にするために、本文の装飾文字はツィツィ=ミメイが担当することになりそう。
  • シトラ=クエフとツィツィ=ミメイは同室。

案内室実技の教官役サクワ=クワルは、シオが司書試験でアフツァック中央図書館を訪れたときに案内役としてすでに登場している(第2巻、p.197)。ちなみに、そのサクワから呼び止められたシイボという名の司書も、彼女の部下としてそのとき同時に登場している。

 

その実技からヒントを得て、シオは福書典祭で提出する自分の企画を、物語の解説本とすることを思いついた。物語には、それぞれに地盤となる歴史や伝説、できごと等がある。完全にオリジナルの物語であっても、その作者にもそれぞれが触れてきた物語や歴史がある。そういった背景を知ることで、すでにある作品をさらに楽しむことができる。現実世界のわれわれが、宮崎駿高畑勲の作品をより深く理解するために、岡田斗司夫の解説動画を好んで見るのもそれである。

ところが、歴代の見習い作品を見学して、それらの書が普通の“本”の形をしていないことに気づき、自分の企画が見劣りするのではないかと不安になる。進行管理役のナチカに企画書を返してもらったわけだが、そのときナチカから「常識を学んだのね」と言われる。だがこのシーン、セリフと表情の解釈が難しい。

言葉のまま素直に受け取れば「過去の作品を見たことからもわかるように、ごく平凡な書籍では企画が通りすらしないから、企画書を取り下げるのは正解である」ということになるはずだが、そうするとそのあとのダム=ヤッパンの言葉の回想からの流れにつながらないようにも思う。

ナチカ自身、「常識」に囚われることで柔軟な発想ができなくなるということを司書試験のときに学んでいるし(第3巻、p.124)、見習いの課題についていけないシオに、実力は足りているのだから自信を持つようにと励まそうとしていた(第6巻、p.149)。それを踏まえたうえで、企画書をシオに返すときのナチカの真剣な表情を見てみると、「常識に重きを置きすぎず、自己を貫くことも必要である」と暗に言っているようにも取れる。

ダムのセリフ「右見て 左見て 近くの奴に恰好(ナリ)が似てると 人はホッとする それは悪いことじゃねぇが つまらねぇことだ」を思い出したことからも、自分の考えたことが常識と異なっているからといって、企画の提出そのものをシオが諦めたわけではない。だが、過去の作品と比べて見劣りしないための“格”を自分の企画に与えるにはどうすればよいのか。シオは大衆文学の会の仲間たちに助言を仰ぐことにする。

 

シオの考える「大衆小説の解説本」というコンセプトは、過去の見習い作品や同僚の考えている企画のように、一部の知識層や研究者のための書とは一線を画している。一方で、読者数の増加と、その層を広げたい中央図書館の思惑と一致しており、福書典祭そのものが「書を愛する者が一堂に会する祭り」であり、一般の大衆・庶民に広く受け入れられやすいという意味において、シオの企画が採用される可能性は高い。もちろん、そこに当然のごとく主人公補正も入ってくるのだろうけれど。

イシュトア先生によると、この課題では成績の加点が一切ない。ゆえに、企画の提出に消極的な見習いも一定数いるわけだが、総務室所属の(つまりかなり優秀な)モモカが弟のスモモに対して企画を提出するように言っていることからも、当然のごとく各室からの評価には関わってくるのだろう。極論を言えば、点数は最終的に上位3名を明確にするためのもので、各室の実技をもとに見習いの誰をどの室に所属させるのか、司書室に要望が出されるのではないかと思われる。イシュトア先生は「私の見た事実を頼りに私が配属先を決める」と言っているが、これまでのストーリーを鑑みても、各室のパワーバランスからくる司書室へのゴリ押しは暗黙のうちに行われているようである。

前編で守護室からの勧誘ともとれるやりとりがあったり、渉外室のトギトの動きを見ても、シオの見習い時代を描く「第2部」、そのクライマックスが近づいている気がする。

 

ところで、ここにトーンが貼られていないのは、手前のシオを見やすくするための意図的なものなのか。それとも単に忘れてられているのか。どっちだろう。

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このミホナも。

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もしミスであるなら、書籍化の際の修正に期待したい。

 

最後に、個人的に好きなシオの企み笑顔。

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第25話でも出てくる(第6巻、p.18)。

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⇒ 第42話の感想と考察へ。

shiuchisan.hatenablog.jp

 

 

【感想 / 考察】『図書館の大魔術師』第41話「存在の耐えられない軽さ(前編①②)」

この記事は作品の重大なネタバレを含みます。お読みになるかたはその点を充分ご承知おきください。

※本文内では、作中の用語を遠慮なく多用しています。

 

1/6(金)にコミックDAYSで最新話が更新されたものの、慌ただしさにかまけていると、あっという間に2週間もの時間が経ってしまった。しかも、ここへ来てアクセス数が何となくじわじわと増え始めていて、せっかく見に来てくれる人がいるのに更新もしないままでいるのは申し訳ない気がするので、ゆえに、遅ればせながらの感想と考察である。

 

■ 感想:第41話「存在の耐えられない軽さ」

今回、①と②を合わせて16ページしかないので、あっという間に読了してしまう。ただし、単行本化の際には前編・後編がひとまとめになって1話となるので、そのときにはおそらく60数ページとなることを考えれば、それほど少ないわけでもない。

今話は1話の冒頭であり、際立って大きな事件が起きるわけでもない導入部分で、シーンは大きく分けて3つである。

  • テイの幼少期の回想から現在のマナ抑制訓練
  • 守護室ヨウ=シオウの忠告と勧誘、そしてスモモの姉モモカ
  • 福書典祭に向けての動きとそれぞれの温度差(次パートへのつなぎ)

テイの幼少期と、ヨウ=シオウの忠告については考察パートにまわすとして、ここではスモモの姉にしてアンズの娘、モモカについて触れておきたい。

今話でモモカは、スモモに対してチョップを食らわせつつ、福書典祭の企画を出すように言う役どころで登場する。カーキニ(留め飾り)の模様から、モモカの所属が総務室であることがわかるわけだが、実はこれまで名前と顔が一致しなかった。

モカの存在は、まずスモモの姉2人が司書であるという発言があり(第4巻p.73)、アンズの口から「モモカちゃん達」と語られることで娘2人のうち1人がモモカという名前だとわかった(第6巻p.181)。第31話で、目元がスモモによく似た女性が、マリガドの是非を議論するという、かなり重要な会議に参加しているのだが、6巻のカバー下解説に「カヴィシマフ一家は総務室、法務室、渉外室、見習いにそれぞれ一人ずつ所属している」とあり、その時点でやっと、その女性がスモモの姉の1人だろうという予測が立った。

第31話より。

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それが今回、スモモの呼びかけでようやく確定したというわけである。

 

■ 考察①:テイの幼少期の環境

シオは前話でイシュトア先生に頼まれ、福書典祭に向けた作品制作にテイを誘う。ところがテイは、自分は他の見習いたちと違って超難関の試験をくぐり抜けてきたわけではなく、ただ連れてこられただけだから、と言って拒絶する。もちろんシオはそれだけで諦めるわけもないだろうが、そこでシオの興味はテイの幼少期に向かう。

シオはテイに対する自身の所感として、算数以外の知識は普通の子供よりもはるかにある、と評している。冒頭のテイの回想で、マナの流出による被害から周囲の者を守るために、(おそらく)父親によって隔離されていた様子が描かれた。テイが閉じ込められている部屋の障子の破れ具合や土壁の崩れ具合、さらに男性の仮面が、これまでに登場したカドー族の仮面と比べて非常に質素なために、一見すると生活が非常に貧しかったように思える。

しかし、よく観察をしてみると、男性の着物もテイ自身の着物も、確かに質素ではあるが、別に継ぎ接ぎだらけというわけではない。つまり、テイが幽閉されていた部屋なのか離れなのか建物だけがボロボロなだけで、暮らし向きそのものはそれほど貧しかったわけではないのではないか、と見ることもできる。そうすると、シオの所感に対するひとつの解答を推測することができる。

つまり、外に出られないだけで、本を借りてもらったり、買ってきてもらったりして、書物から学ぶことはできた。それで知識は増えてゆく。しかし算数は、とくに計算に関しては繰り返しの反復練習が重要なので、1人だけで学ぶには限界があった、とは考えられないだろうか。

わざわざ考察などしなくとも、そのうち本編で描かれるだろうけれど。

 

■ 考察②:守護室の魔術師

守護室のヨウ=シオウは、精霊騒動時のアルフの行動を「守護室ごっこ」と評し、アルフのことを「勇敢な弱者」とする一方で、アルフをかばおうとする姿勢を見せたシオに対して「お前は守護室に来ないのか?」と勧誘ともとれる言葉をかける。

ヨウが魔術学園出身であることは第32話のカリンのセリフ「魔術学園出身は合理主義っすねー」からすでに明らかだったので、必然的にアルフはヨウの後輩にあたる。

魔術を扱うには何よりもまずマナの量が必要になることは、これまでの物語で触れられてきた。“圕の大魔術師”コマコ=カウリケは初対面のシオをして「あのマナがあればそれなりの魔術師にもなれる」と思っていることからも、魔術師になるための第一条件がマナの量にあることは明白である。

魔術学園をやめた理由としてアルフは「才能がなかった」と言った。アルフは自身のことを滅多に語らないので、ほとんど憶測になってしまうのだが、施設室の実技でアルフはスモモをからかいつつ、自身もマナ光石に直接触れようとしていないことから(第5巻p.34〜35)、マナ容量が少ないことが伺える。ゆえに、強力な魔術を扱うことはできないのだろう。

アルフがカフナとなった理由、または目指した理由については現状まだまだ描かれておらず、おそらく今後の展開で明らかになるはずだが、才能がない=マナが少ないがゆえに魔術学園をやめたアルフが、いまだ魔術を行使するための円盤を持ち歩いているのも、魔術師になれる機会を得るためだと考えられる。守護室に入ることができれば魔術師になれる余地は残されている。

しかし、アルフは現役の魔術師たちからその考えを否定されている。今回のヨウの発言からも、守護室のほうからアルフを求めることはないだろう。アルフに残された手段は、見習いの成績上位3名に入り、室指名権を得ることなのだが、今後、シオとは別の意味で成績上位者に入ることを妨害されるかもしれない。

 

後編へつづく。⬇

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