『図書館の大魔術師』考察ブログ

~しがないつぶやき【Z:sub】~

【感想 / 考察】『図書館の大魔術師』第41話「存在の耐えられない軽さ(後編①②)」

この記事は作品の重大なネタバレを含みます。お読みになるかたはその点を充分ご承知おきください。

※本文内では、作中の用語を遠慮なく多用しています。

 

■ 感想:第41話「存在の耐えられない軽さ」

第41話の後編が2/7(火)に更新された。

今話は全体的に、福書典祭に向けてシオが自分の企画を練るという流れである。ストーリーの要点は以下のとおり。

  • 案内室実技。大衆小説の案内はシオの得意分野と言えそう。
  • シオの企画は、大衆小説をより楽しむための解説副読本。
  • 歴代の見習い作品を見学、そのあまりのクオリティーに、シオは自分の企画を練り直すことに。
  • 進行管理のナチカが設定した企画提出の締切は、本来より1週間早かった。念のため。
  • シオは大衆文学の会の面々に、自分の企画について相談。豪華な装幀にするために、本文の装飾文字はツィツィ=ミメイが担当することになりそう。
  • シトラ=クエフとツィツィ=ミメイは同室。

案内室実技の教官役サクワ=クワルは、シオが司書試験でアフツァック中央図書館を訪れたときに案内役としてすでに登場している(第2巻、p.197)。ちなみに、そのサクワから呼び止められたシイボという名の司書も、彼女の部下としてそのとき同時に登場している。

 

その実技からヒントを得て、シオは福書典祭で提出する自分の企画を、物語の解説本とすることを思いついた。物語には、それぞれに地盤となる歴史や伝説、できごと等がある。完全にオリジナルの物語であっても、その作者にもそれぞれが触れてきた物語や歴史がある。そういった背景を知ることで、すでにある作品をさらに楽しむことができる。現実世界のわれわれが、宮崎駿高畑勲の作品をより深く理解するために、岡田斗司夫の解説動画を好んで見るのもそれである。

ところが、歴代の見習い作品を見学して、それらの書が普通の“本”の形をしていないことに気づき、自分の企画が見劣りするのではないかと不安になる。進行管理役のナチカに企画書を返してもらったわけだが、そのときナチカから「常識を学んだのね」と言われる。だがこのシーン、セリフと表情の解釈が難しい。

言葉のまま素直に受け取れば「過去の作品を見たことからもわかるように、ごく平凡な書籍では企画が通りすらしないから、企画書を取り下げるのは正解である」ということになるはずだが、そうするとそのあとのダム=ヤッパンの言葉の回想からの流れにつながらないようにも思う。

ナチカ自身、「常識」に囚われることで柔軟な発想ができなくなるということを司書試験のときに学んでいるし(第3巻、p.124)、見習いの課題についていけないシオに、実力は足りているのだから自信を持つようにと励まそうとしていた(第6巻、p.149)。それを踏まえたうえで、企画書をシオに返すときのナチカの真剣な表情を見てみると、「常識に重きを置きすぎず、自己を貫くことも必要である」と暗に言っているようにも取れる。

ダムのセリフ「右見て 左見て 近くの奴に恰好(ナリ)が似てると 人はホッとする それは悪いことじゃねぇが つまらねぇことだ」を思い出したことからも、自分の考えたことが常識と異なっているからといって、企画の提出そのものをシオが諦めたわけではない。だが、過去の作品と比べて見劣りしないための“格”を自分の企画に与えるにはどうすればよいのか。シオは大衆文学の会の仲間たちに助言を仰ぐことにする。

 

シオの考える「大衆小説の解説本」というコンセプトは、過去の見習い作品や同僚の考えている企画のように、一部の知識層や研究者のための書とは一線を画している。一方で、読者数の増加と、その層を広げたい中央図書館の思惑と一致しており、福書典祭そのものが「書を愛する者が一堂に会する祭り」であり、一般の大衆・庶民に広く受け入れられやすいという意味において、シオの企画が採用される可能性は高い。もちろん、そこに当然のごとく主人公補正も入ってくるのだろうけれど。

イシュトア先生によると、この課題では成績の加点が一切ない。ゆえに、企画の提出に消極的な見習いも一定数いるわけだが、総務室所属の(つまりかなり優秀な)モモカが弟のスモモに対して企画を提出するように言っていることからも、当然のごとく各室からの評価には関わってくるのだろう。極論を言えば、点数は最終的に上位3名を明確にするためのもので、各室の実技をもとに見習いの誰をどの室に所属させるのか、司書室に要望が出されるのではないかと思われる。イシュトア先生は「私の見た事実を頼りに私が配属先を決める」と言っているが、これまでのストーリーを鑑みても、各室のパワーバランスからくる司書室へのゴリ押しは暗黙のうちに行われているようである。

前編で守護室からの勧誘ともとれるやりとりがあったり、渉外室のトギトの動きを見ても、シオの見習い時代を描く「第2部」、そのクライマックスが近づいている気がする。

 

ところで、ここにトーンが貼られていないのは、手前のシオを見やすくするための意図的なものなのか。それとも単に忘れてられているのか。どっちだろう。

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このミホナも。

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もしミスであるなら、書籍化の際の修正に期待したい。

 

最後に、個人的に好きなシオの企み笑顔。

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第25話でも出てくる(第6巻、p.18)。

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⇒ 第42話の感想と考察へ。

shiuchisan.hatenablog.jp