『図書館の大魔術師』考察ブログ

~しがないつぶやき【Z:sub】~

ロシアへの旅路④ ~ノボジェビッチ修道院~

前回からのつづき。

 

ノボジェビッチ修道院

ノボジェビッチの墓地には、ロシアおよびソ連の著名人が数多く埋葬されている。

作家ではチェーホフツルゲーネフ、作曲家のスクリャービンショスタコーヴィチなどはその一例である。政治家ではグロムイコ元ソ連外相、モロトフソ連首相、エリツィン元ロシア大統領、フルシチョフ共産党第一書記などがいる。

ソ連の最高指導者となった人物の墓は通常、赤の広場にある。レーニン廟の裏手、クレムリンの城壁に沿って、まるでレーニンの直臣のように居並んでいるのだが、フルシチョフの墓だけはノボジェビッチにある。

フルシチョフの失脚後に最高指導者となったブレジネフとの確執が原因とされているが、後世の人間からすれば、権力闘争の証拠を見ることができる今の状態のほうが、さまざまな含蓄があって趣がある気がする。

 

ノボジェビッチを訪れたのは午後も遅い時間だった。有名人の墓はどれも特徴的というか個性的で、件のフルシチョフの墓などは御影石で彫られたフルシチョフのどデカい“頭部”が、デンと据えられていた。おそらく本人は望んでいなかったであろう、そのシュールなたたずまいが不謹慎にも笑いをさそった。

 

著名人の墓をいくつか見学していると、奥まったところにある墓の前に、数人の男女が固まっていた。そこはゴルバチョフ元書記長の夫人の墓で、我々一行が訪れた日は偶然にも夫人の命日であった。墓石の上には少女の像が踊り子のような風情で添えられていた。ゴルバチョフ氏の孫娘がモデルとなっているそうな。午前中にはゴルバチョフ氏本人も訪れ、大勢のマスコミも取材に来ていたそうだ。

 

ふと、我々ジャパネスクな一行を見つけて近寄って来た白髪の男が1人、熱烈な親日ぶりをアピールしてきた。聞けば、彼はゴルバチョフ氏の元側近で(いや、親族だったかな。その辺の聞き取りには自信がない)、日本にも何度か行ったことがあるとのことだった。

そうこうしているうちに、話題が北方領土のことになった。すると男は何ということはないといったふうに、

北方領土? ハハッ、そんなもの返してあげるとも!」

オッサン、適当だなァ・・・。

思わぬところで日露友好の一端を担うことになった、モスクワの昼下がりであった。

 

第5話 モスクワの美術館