『図書館の大魔術師』考察ブログ

~しがないつぶやき【Z:sub】~

ある質屋にて ~バイト先は街の質屋さん~

大学生のアルバイトなどというのは、だいたい相場が決まっているものである。

お定まりの塾講師・家庭教師、コンビニやスーパーの店員、ファミレスや居酒屋での給仕や厨房スタッフ、パチンコ屋やゲームセンターといった遊興施設の係員、本屋の店員などなど。

 

ぼくがお世話になったアルバイトも、カテゴリー分けをするなら店員・販売員である。そういう意味においては、友人たちのほうがよほど変わったアルバイトをしていた。赤十字血液センター血液製剤を作る補助だとか、盆栽の梱包だとか、よく探してきたものだと感心したものだ。ただし、自分のバイトが他と少しだけ違っていたとするなら、その場所が「質屋」だったということである。

 

大学1年の1月。それまで高校の同級生から妹の家庭教師を頼まれていたのだが、推薦合格が決まったということでお役御免となった。

実家から大学に通っていたぼくとしては、バイトをする必然性はそこまでなかったのだが、自由になるお金もほとんどなかったので、なんとなく大学生協が斡旋しているアルバイトの掲示板を見に行った。大学生協のアルバイト斡旋掲示板はパネルが大きく2枚に別れていて1枚は家庭教師専用、もう1枚がそれ以外という並びであった。それまでやっていたのが家庭教師だったので、今度は少し毛色の変わったものがやりたいと思ってその他の掲示板を見てみることにした。

 

ぼくの条件はまず、確実に終電までに帰れることである。したがって、よくあるコンビニや飲食店のホールスタッフは初めから除外される。パチンコ店は条例で夜23時までの営業と決まっているので候補ではあったのだが、実はぼくの話し声というのは、どういうわけか音量の大小に関わらず騒音に紛れてしまうので、仕事に支障をきたすだろうということでこれも却下。本屋も悪くはなかったが、大学から手頃な距離にある書店がなかった。

うーんと唸っていると、隅の掲示が目に入った。

 

・業務内容 商品陳列、検品、販売補助

・営業時間 月~土 午前10時~午後7時(土曜6時まで)

      日・祝 休み

 

19時閉店なら帰りもそれほど遅くならないし、時給も悪くない。販売補助というのが具体的に何なのか気になるが、なにごとも経験、ここに電話してみよう、ということで電話をかけてみた。

最初、電話に出たのは店の奥さんらしき人で、バイト希望の旨を伝えると若い男性に代わった。簡単な履歴書を用意するように言われ、翌日に面接となった。次の日、指定の時間に店に向かったわけだが、そこで初めて、店が質屋の販売部門であることが分かった。

 

質屋 イメージ

 

戦後すぐの頃からある老舗の質屋である。表の通りに面した店舗が質流れ品の販売コーナーで、店の北側の路地に入ったところにもう1つ、質預かり専用の入口があった。

こういう構造は質屋の伝統的なつくりであるようで、世間体から質屋に入るところを見られたくはないが、そうは言っても先立つものは必要だという人のための入口である。表の通りで何気ない世間話をして知り合いをやり過ごしたあと、裏路地の側から入ったら中でまた同じ人物に鉢合わせたという笑い話が落語のまくらにあったりもする。

 

面接らしい面接もせずに採用となり、勤務初日を迎えた。その日は土曜で、丸一日の勤務だった。掃除や接客、電話番、レジ打ちもさることながら、まずはこれまで無縁だった、さまざまなブランド品を覚えなければならない。

 

高級ブランドバッグの定番はやはりルイ・ヴィトンエルメス。バッグの型それぞれに名前があるし、使われている素材や、柄の名前も独特である。腕時計はロレックス、オメガ、ブライトリング、IWCタグ・ホイヤーグランドセイコーなど。ロレックスにも型ごとにサブマリーナやデイトナといった名前が付けられている。愛好家には当たり前のことも、ゼロベースから始めるとなるとなかなかにやっかいである。クロノグラフがストップウォッチのことだなんて、ことのき初めて知った。

 

宝石・貴金属・アクセサリーは、ブランドだとティファニーカルティエ、ブルガリなどのシルバーアクセサリー、K18のネックレスはそのものの形や造幣局の刻印を覚えなければならないし、ダイヤモンドの品質を表す4Cや月ごとの誕生石なども頭に叩き込んだ。それ以外にも、当時は扱う商品が多彩で、ダンヒルジッポーのライター、中古のノートパソコンにデジタルカメラ、そのレンズ、インパクトドライバーなどの大工道具、はてはアウトレットの麻雀牌や碁石、碁盤、将棋盤まで売っていた。

 

お客も千差万別だった。県会議員、市議会議員、医者に弁護士、警察官、フィリピンパブのおねえさん、大工の棟梁、地元の伝説のホステスからヤクザ屋さんまで(それもチンピラから組長クラスまで)、あらゆる人種がぼくの前を通り過ぎて行った。中でも土曜日は常連さんが多く、その顔も覚えなければならない。

質屋組合なるものもあって、そのお遣いとして市内の質屋を自転車で回ったりもした。ときには大奥さんに頼まれて、米を運んだり、奥の部屋の蛍光灯を交換したりすることもあった。決してネガティブな意味ではないが、ただのアルバイトというより、使用人として働いていたと言うほうが、形容としては正しい気もする。

 

結局、大学を卒業する間際まで、まる3年その店でお世話になった。どれもこれも、自身にとって得難い経験であった。

 

(つづく。次回 ダイヤモンドの話)