『図書館の大魔術師』考察ブログ

~しがないつぶやき【Z:sub】~

ロシアへの旅路⑤ ~プーシキン美術館とトレチャコフ美術館~

前回からのつづき。

 

モスクワ大学での滞在中は、基本的にロシア語の勉強をする。

我々に教授してくれたのは外国語学部のイーガリという先生だった。午前中は外国語学部の専門棟へ行って、みんなで初級ロシア語の勉強である。ただし、イーガリは日本語を話すことができなかったので、講義はロシア語と英語のチャンポンである。イーガリがロシア語の単語を、さらにやさしいロシア語と英語を使って解説するという流れである。

 

午後になると、社会見学の名目で街へ観光に繰り出した。日本から一緒に来たY教授とイーガリの引率で、モスクワの名所をまわった。

 

トレチャコフ美術館

トレチャコフ美術館。

というより、設立者のパーヴェル・トレチャコフ像。

 

現在、トレチャコフ美術館はロシア最大級の美術館の1つとなっている。何がすごいかというと、これがもともとは個人のギャラリーだったことである。

パーヴェル・トレチャコフは紡績・織物業で財を成した、モスクワでも指折りの大富豪であり、その有り余る財産を美術品の蒐集に惜しみなくつぎ込んだ。また、ロシアの芸術家からも作品を買いあさり、パトロンの1人としてロシア芸術の発展を支えた。

19世紀当時のロシアは他のヨーロッパ諸国と比べてまだまだ近代化が遅れており、早急に国内を整える必要があった。その1つが国立美術館の設立であり、トレチャコフはその目標に“個人で”取り組んだのである。

美術品を展示するスペースが足りなくなれば、自分の屋敷を有名建築家に改装させ、質・量ともにモスクワ屈指の美術画廊に仕立て上げたあと、なんと私邸ごとそっくりそのままモスクワ市に寄贈したのである。これが現在のトレチャコフ美術館の前身となった。

 

プーシキン美術館

プーシキン美術館。収蔵品数はエルミタージュに次いで第2位。

訪問当時はレンブラント展を開催していた。

 

イーガリの案内で街歩きをするときは、Y教授も一緒について来た。イーガリの言葉が分からなくても、教授が助け舟を出してくれていたので観光で困ることは基本的になかった。

ところが、プーシキン美術館を見に行った日、教授は大学の事務局との話し合いがあるとかで、引率するのはイーガリのみ。あとはロシア語初級以下の学生4名と、生涯学習講座で週1回ロシア語を学んでいるだけの中高年4名。なんとも頼りない組み合わせであった。

イーガリが解説してくれることがらを誰かが通訳する必要があったのだが、一行の中で一番ロシア語に通じているのがぼくだということで、生まれて初めてのなんちゃって同時通訳をすることになってしまったのである。「一番ロシア語に通じている」なんていうのは、その集団の中で比較的というだけで、実際は他の人よりも余計に講義を取っていただけである。他の人に少しだけ毛が生えた程度でしかない。

これがたとえば英語なら、学習を始めて1年半ということだから中学2年である。普通なら中2の子に同時通訳を頼んだりはしないだろう。大学の外国語なんて週に1回程度であるから、英語よりもさらに始末が悪い。異国の空の下、旅の恥は搔き捨てというワケのわからない論理と、海外旅行中の一種独特の熱に浮かされていただけである。引き受けてしまった側の苦労を想像していただきたい。

イーガリの話すロシア語と英語のチャンポン解説を、瞬時に脳内で日本語に変換し、それを日本人に伝わるように言い換える、その繰り返しである。実際にやってみると、もはや曲芸である。なんというか、エネルギーの消費と疲労が半端ではないのだ。専門の同時通訳者が連続で稼働できるのは15分から20分が限界だと聞いたことがある。小一時間のあいだそんなことに1人で取り組んだわけだが、寮に帰り着いた時にはそのままベッドに倒れ込んでしまった。

偉そうに同時通訳をしたなどと言っているが、ぼくはロシア語の初級者である。専門の同時通訳者と同様のことができるはずもないのだが、それに要する労力が想像を絶するものであったということをご理解いただきたい。

 

ロシアに限ったことではないだろうが、日本との違いを大きく感じたのは、美術館や博物館の身近さと気安さである。日本で暮らしていると、美術館や博物館に行くというのは比較的重大なことで、自身の記憶をたどっても、遠足や修学旅行、あとは何らかの特別展が開かれている時くらいしか行ったことはなかった。トレチャコフ美術館やプーシキン美術館のように街なかにある美術館を訪れる人は、仕事の合間、午後の休憩でふらりと立ち寄るといったような、きわめて自然体なのである。

このことついて、日本とヨーロッパでは美術館の立地条件に大きな違いがあるからだとぼくはにらんでいる。ヨーロッパの美術館は、エルミタージュやルーブルのようにかつての王侯の宮殿を衣替えしたものをのぞいて、都市の中心部、メインストリートから徒歩圏内に立地している場合が多い。かたや日本の美術館は、その多くがバブルの頃の公共事業で建てられたために、郊外に立地し、大規模な駐車場を完備していてバスで乗り付ける仕様になっている。ランチのあとに散歩がてらふらりと立ち寄って優雅に午後を過ごせるようには初めから作られていないのである。

また、軍人や学生のように、国家の将来にかかわるような人材には非常に好意的で、入館料が無料またはべらぼうに安く設定されており、国民教育の一環を担っている(そのぶん、観光客には価格設定の面でまことに非好意的である)。

絵画にしても音楽にしても、芸術がお高く留まっておらず、人びとの日常に自然に溶け込んでいる様子に、言葉にできないほどのうらやましさを感じた午後であった。

 

⇒第6話 モスクワ川くだり