『図書館の大魔術師』考察ブログ

~しがないつぶやき【Z:sub】~

愛読書レポート ~『ハリー・ポッター』シリーズ(前編)~

■ 書誌情報

作者:J・K・ローリング

訳者:松岡祐子

版元:静山社(日本版権)

発行:1999年(邦訳版 第1巻)

 

ハリー・ポッターと賢者の石

ハリー・ポッターと秘密の部屋

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人

ハリー・ポッターと炎のゴブレット

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

ハリー・ポッターと謎のプリンス

ハリー・ポッターと死の秘宝』

 

 

■ 感想

ハリー・ポッター』は、ぼくに読書の楽しみを教えてくれた本である。ぼくの読書観を変えたという意味で、このシリーズが果たした役割は計り知れない。

 

ぼくは幼い頃、本を読まない子どもだった。正確には、読めなかったのである。文字を目で追っても、書かれている情景が想像できなかったし、ひどい時には行を飛ばして読んでしまったりと、まったく散々であった。幼い頃は知っている言葉がまだまだ少なかったとはいえ、ほんとうによく高校受験を切り抜けられたものだと、我ながら感心してしまう。

 

高校に進んでも状況は大して変わらなかった。唯一変わったのは図書館に通うようになったくらいである。と言っても本を読むためなどではなく、司書教諭と仲良くなったので、昼休みや放課後におしゃべりをしに押しかけていただけである。先方はきっと迷惑していたことであろう。

 

高校1年、3月初旬のことである。大学入試がひと段落、卒業式も終えて、校内がどことなく閑散としてきたある日、ぼくは何週間かぶりに図書館へ向かった。学年末考査もあったし、何よりも受験生が頻繁に図書館に出入りしていたので、呑気におしゃべりもできなかったからである。

ところで、ぼくはこの「図書館で勉強する」というおこないが、どうにも理解しがたい。べつに図書館学みたいなものを学んだわけではないのだが、図書館は本を読む場所、借りるための場所のはずである。調べものの意味での勉強なら理解できる。しかし、本を借りるわけでもなく自習だけで席を埋めてしまうのは、本来の図書館の利用法からすれば間違っていると思うのである。自習をする人で席がいっぱいで、本を借りて読もうとする人が使用できないのでは本末転倒であるし、これから自習で使うから、と荷物を置いて席取りだけしているなんていうのは言語道断である。

 

図書館ににやってきたとき、司書の先生は不在だった。ぼくは仕方なく、本を読む気もないのに閲覧フロアに入った。定期考査も入試も終わり、館内は人の気配もなくがらんとしていた。興味もないままに書棚を見ていると、新刊の棚に無造作に置かれている濃紺の表紙の本が目に入った。きれいに収まっているのではなく、まるで放り込まれたかのように斜めになっていた。それこそが『ハリー・ポッターと賢者の石』、シリーズの第1巻だった。

当時、邦訳は第4巻まで出版されていて、映画の公開もあって一大ブームが巻き起こっていた。原作の貸出は常に予約でいっぱい。返却されるそばから次へ貸し出されていくので、図書館内で現物を目にすること自体が稀であったことを、司書室に出入りしていたぼくは知っている。

ぼくは生来、アマノジャクな性格で、周囲が見ているもの、やっていることを自分もするということを意固地なまでに拒絶する傾向があるのだが、ハリー・ポッターもその例にもれず、あえて目に入らないようにしていた節もあり、表紙をじっくり見たのはその日が初めてであった。

手に取って中を開いてみようとしたその時、タイミング良くというか悪くというか司書の先生が戻ってきた。今まで幾度となくすすめられておきながら、頑なに拒否してきた本をぼくが手にしている姿を見たときの司書の先生の表情を、ぼくは生涯忘れないだろう。

引っ込みがつかなくなったぼくは、恥ずかしさから手続きを済ませるやいなや第1巻をカバンにグッと押し込んで、そそくさと図書館を立ち去り家路についた。

 

後編へつづく。