あのときぼくはモスクワにいた。
安倍総理が退陣するそうだ。ニュースを見ていて、ひとつの記憶が筆者の脳裏に去来した。
あらかじめ言っておきますと、このブログでは政権批判や政治評論を載せるつもりはありません。筆者は政治ジャーナリストのような専門家ではないし、筆者がそんなことをせずとも、世間にはすでに政策批評やネガティブな総括、次の総理は誰なのかランキングといったものがごまんとあるのですから。ずぶの素人が知ったふうに、あれがダメだった、これがダメだったと言い募るのは、実に空しいことではありませんか。
2006年9月半ば、ぼくはモスクワの地を踏んだ。当時は大学生で、初修の外国語としてロシア語を選択したのだが、担当教授と親しくなった関係で、モスクワ大学へ2週間の短期語学研修に参加したのである。
2週間の滞在中はモスクワ大学の寮で寝起きした。午前は外国語学部でロシア語の勉強、午後は社会見学の名目で街へ繰り出し、クレムリンから赤の広場、ノボジェビッチ修道院、プーシキン美術館にトレチャコフ美術館といった超有名どころの観光地を見学した。あいだの週末を利用して夜行列車に乗り、バルト海に面した街サンクト・ペテルブルクへも行った。どれもこれも自分にとって初めての経験で、加えてロシアという土地がアジアとヨーロッパを良い塩梅に融合したような印象を受ける、非常にエキゾチックな場所であったので、この国にはぜひもう一度訪れてみたい、そういう思いを強く抱く滞在であった。
なぜロシア語を選択するにいたったか、そしてロシアへの旅の詳細については、それぞれゆうに1篇のエッセーを著すに値するので、この際は省略いたしましょう。
先述のとおり、滞在したのがモスクワ大学の寮であり、期間も2週間と長かったので、当然ながら着るものの始末も自分でつけなければならない。しかしそこは良くしたもので、大学の寮というだけあって建物内にコインランドリーも併設しているのである。大型のドラム式洗濯機と乾燥機が何台も置いてあるのは日本と同じなのだが、こちらはどういうわけか必ず“有人”なのである。
実際に自分自身がお世話になったことはなかったので詳細についてはよく分からないのだが、おそらくこの国によくあるフロア管理者、かの国の言葉でジェジュールニィ(女性形だとジェジュールナヤ)というものであったのだろう。ロシアでは寮でもホテルでも、管理者のような受付のような人(だいたいはそこそこの歳のおばさんだった)が、各フロアごとに必ず1人いる。良く言えばコンシェルジュのようなものなのだろうが、そんな細やかなサービスを提供するためのものではなく、廊下の端に専用のカウンターがあって、単に宿直というか当番のようなものとしてそこに鎮座しているだけである。なんというか、昭和のころによくいた“角のタバコ屋のおばさん”といった風情とでも言えば伝わるだろうか。
いま手もとにあるロシア語辞書を紐解いてみると、ジェジュールニィの意味は「宿直・当直・当番」とあるので、筆者の解釈もそう的外れではあるまいと思うわけです。現に何か相談を持ち掛けても「そうねぇ、わたしではどうしようもないわねぇ」とニッコリされるだけだったからナァ・・・。何のためにいるのかついぞ分からないままでしたが、きっとあれも社会主義時代の遺物のひとつなのだろう、そういうことにしておきましょう。しかし、筆者がモスクワに行ったのは10年以上前の話なので、こういう一見すると意味不明なものは徐々に姿を消しているやも知れませぬ。
よって、24時間お好きなときにご利用くださいというのではなく、夜になると閉まってしまうのである。したがって、洗濯機を利用したいと思えば、そのジェジュールナヤがいる時間帯を見計らって、寮の部屋から自らの洗濯物をば持参し、おばさんに「こんにちは」と言って中に入り、洗濯物を投入し、コインを入れて、スイッチを押し、あとは壁際のベンチなどに腰かけ、古い小さなブラウン管テレビなんぞが昔の大衆食堂よろしく部屋の隅に置いてあるから、それを見ながら洗濯が完了するまで待つのである。洗濯が終わったら取り出して、袋なり籠なりに放り込んで、ジェジュールナヤに「スパシーバ(ありがとう)」と言って退出するのである。
どうです。ジェジュールナヤの仕事って何だろうと思うでしょ? なにしろ、機械の操作も洗濯物の投入・取り出しもすべて自分でやっているのです。ちなみに、日本のコインランドリーみたいに「洗濯物をたたむためのテーブル」なんて気の利いたものがあるはずもないので、下着やタオルなどは持参した袋などに無造作に放り込むだけです。
あの日、ぼくは引率してきていた日本人のロシア語教授(専門はブルガリア語)と一緒に、洗濯が終わるのをベンチに腰掛けて待っていた(乾燥機をまとめて使うために、よく2人1組くらいで利用していたのだ)。
モスクワ滞在もあと数日という頃で、そこそこ疲れも出ていたのであろう、なにか喋るでもなくお互いにボーっとしていたのだが、ふいに教授が「アベさんが首相になりましたね・・・」とつぶやいた。
ぼくははじめ何のことかわからず、思わず教授の顔を見た。教授はぼくのほうではなく、部屋の隅に置かれた古ぼけたテレビの画面を見ていた。その視線を追ってテレビに目を向けると、そこには日本の衆議院本会議場の様子が映っており、「シンゾー・アベがコイズミ氏の後継者として新しい首相に選ばれた」と報道されていた。
ロシアの首都モスクワという異国の地にあって、日本の首相が交代したというニュースを現地の報道で目にすると、それはひどく遠いところの出来事であるように感じた。実際に7千キロ以上離れた場所で見聞きしたわけだが、あと数日もすれば帰るはずの自分の国のこととはとても思えないような、なにか非現実的な気がした。そんなことを思いながら、ぼくが何の気なしに「思えば遠くへ来たもんだ」とつぶやくと、教授は苦笑して「そうですね」とうなずいた。ニュースはすでに別の報道に切り替わり、あたりには洗濯機と乾燥機のモーターがゴウンゴウンと回転する音がしていた。
2006年9月26日のことである。
(この原稿は2020年8月末に執筆しました)