『図書館の大魔術師』考察ブログ

~しがないつぶやき【Z:sub】~

ちくしょう! 中から鍵がかかってやがる!

人里離れたところに建つ洋館。何らかの目的で集められた数人の男女。

運悪くその夜は嵐で、ここへの唯一のルートが寸断。全員で朝を待つことに。

そのうち、ちょっとしたいさかいがあり、中の1人が席を立って2階の自室に引き上げる。

ややあって、ふいの雷鳴とともに突然の停電。

「やだ、停電?」

「さっきの雷で電線が切れたんだろう」

「たしか、キッチンにろうそくがあったはずだ。取ってこよう」

各々が立ち上がった瞬間、突如として闇を切り裂くような悲鳴が。

「なんだ!?」

「2階だ!」

全員が階段をバタバタと駆け上がり、目的の部屋の前まで来て、ドアノブに飛びつく。

ガチャガチャッ!

「ちくしょう、中から鍵がかかってる!」

 

   ※   ※   ※

 

いまどきこんな古典的な展開もないと思うが、推理小説におけるひとつの典型的な流れである。そこへ向かうルートがたったひとつしかないような、森の中に建つ瀟洒な館など本当にあるのだろうかという疑問はひとまず脇へ押しやり、子どもの頃から気になっている表現がある。

 

それは「中から鍵がかかっている」。

 

 

■ あえて「中から」と言う意義

推理小説をそこまで読むわけではないが、作者が登場人物にあえてこのセリフを言わせているなら、たいていの場合それは犯人の仕掛けたトリックであって、そのときドアには間違いなく鍵がかかっていたと印象付けるための表現、いわゆるミスリードである。

 

真っ先にドアに飛びついて施錠されていることを周囲に宣言することで、いわゆる密室を演出しているのである。その実、本当は鍵などかかっておらず、それを探偵役が暴くことで事件は解決編に向かうわけだ。いかにもありがちな展開である。ベタすぎて意外性もへったくれもあったものではないが、とりあえずここまでが推理小説における表現技法の話である。

 

萬翠荘

森の中の洋館イメージ。

写真は実在の建物で、松山市にある旧久松伯爵邸「萬翠荘」。

 

 

■ フィクションとリアリティーのはざま

ただ、現実はどうか。冷静になってよく考えてみよう。

「慌てて飛びついたドアが開かない」=「中から鍵がかかっている」という図式が、たとえ頭の中でよぎったとしても、それをいちいち口に出して「中から鍵が…」なんて言うものだろうか。実際にはおそらく、「くっ、開かない!」とか「閉まってる!」みたいな表現になるはずだと思うのである。

 

余計なものを削ぎ落して俯瞰したとき、状況は「ドアが開かない」だけなのだ。

その状況の原因が、

①部屋の中の人物が鍵を“中から”かけたことによるものなのか、

②部屋の主が“外から”鍵をかけたのか、

③鍵は開いているけれどもドアが何かでふさがれているために“動かない”だけなのか、

④はたまたそれ以外の事情があるのか、

「そんなの、現実には判断できるわけないじゃん!」

と、子どものころのぼくは思ったわけだ。要するに、セリフが説明的に過ぎると感じるのである。

 

先にとりあげた、推理小説の中における表現技法のひとつとして「中から鍵が…」を使うのは理解できる。ミステリというのは、そこに書かれている一言一句が読者へのヒントになっているはずだから、あえてそうしているのだろう、と思うことで違和感を覆い隠すことができる。ぼくが許せないのは、ごく普通のドラマでこの表現が使われる時である。

 

ぼくとしては、リアルな事象・現象をそのまま描いたのではフィクションにならない、フィクションとするからには読み手・聞き手の解釈に違和感が起こらないよう配慮する必要がある、といったこともわかっているつもりである。

 

でもこれだけは、いまだにどうしても違和感がぬぐえない。

 

これを読んだ皆さんは、どう思うだろうか。