『図書館の大魔術師』考察ブログ

~しがないつぶやき【Z:sub】~

ポケモン図鑑、完成したよ! ~記憶編「ポケモンが愛される理由についての個人的見解」~

■ 最初は「緑」

はじめて買ったポケモンのソフトは、ゲームボーイ版の「緑」でした。思えば「ソフト」なんて言い方も、ぼく世代から言わせれば最近の流れでして、当時は「カセット」と言っておりましたね。

 

緑を買った理由は至極単純でした。ぼくは周囲に比べて、ポケモンソフトを手に入れるのが遅くて、ぼくが買おうとした頃にはみんな「赤」を持っていたから、通信交換のために緑を買うようすすめられただけなのです。

 

 

■ 昔のRPGって苦行に近くなかった?

ホントのところを言いますと、小学生時分のぼくはRPGとか育成系のゲームがまったく性に合わなかったと見えて、エンディングまでたどり着くのは至難の業でした。わかってますよ、当時のポケモンなんてレベルさえ上げておけばゴリ押しでどうにかなったことくらいね。でもそういうことではないのです。

 

堪え性のない人間にとって、RPGのレベル上げというのはある種の嫌がらせか拷問に近い苦行でして、「ゲームっていうのはそういうものだ」ということを理解できるようになるまで、まともにやったためしがありません。いとこがくれたドラクエ1を当時はじめからやろうとして、スライムを2匹だけ倒したところでコントローラーを放り出したのは内緒です。若気の至りといいますか。

 

 

■ 「ゲームは動詞で作る」by 田尻智

でもどういうわけかポケモンだけは、まあ飽きずに何時間でもやっておりました。ポケモンの制作会社、ゲームフリークの代表 田尻智が、ゲームをクリエイトする際のキーワードは「動詞」であると言っておりましたが、そういう視点でポケモンを見てみますと、動詞だらけであることがわかります。

 

ポケモンを「捕まえる」「育てる」「戦わせる」「集める」、これらが通信ケーブルなる道具を使用することで自分以外の他人と「交換する」ことで、単純にエンディングを迎えるだけでは終わらない深みが出て、極めようと思うとキリがない、もう延々とやってられました。現に世代が下るにつれて、できることはどんどん広がっているために、「ポケモン廃人」なんて言葉も生まれているようですし。

 

シナリオそのものもよくできています。男の子が旅に出て、ライバルたちと競い合いながら、時に社会を揺るがす事件に巻き込まれつつ、各地で「伝説」や「幻」と呼ばれるものに出会いながら、最終的にチャンピオンとなる、というのがおそらく全作に共通する流れですね。

 

ぼくごときが偉そうに言うのもナンですが、遊び方のスタイルが人によって違っていても、それが各々の個性となりますし、1人だけでやっても、友だち複数と通信交換・通信対戦をするなど、遊び方の幅がとても広かったことが、あるいはこのゲームが20年以上にわたって世界中でプレイされ続ける理由のひとつであるかもしれません。

 

(予告詐欺になりました。次回こそ「金ver.の悲劇」)